【子育て】選ばなかった方への未練と不安

子育て・ママ友

「帰りも一緒なの?」と言われてつい「ううんーーー!」
って、「まさか!そんなことないよ!」という雰囲気が込められた返事をしてしまいました。

朝のことなんですけどね。

娘と小学校まで行っているんです。
今娘は2年生です。

ちょっと前までは、一人でいっていたんですけど、9月、母の葬儀やなんやらが終わって、ちょっとこちらでおちついて日常生活が始まってから、
また一緒に行きたいと娘が言いまして。

朝早いので、まだ仕事も始まっていないし、私と行きたいと言っている間は、行こうかなって思っています。学校までの往復3000歩もあまり歩かなくなった私に必要だしね。

同じマンションに一年生の子が住んでいて、今日は、たまたま一緒になりました。
一緒に並んで歩いていたら、その子が「帰りも一緒に帰るの?」
と聞いてきました。

私は、とっさに「ううんー!」と答えたのですが、そこには、「とんでもない!」みたいなニュアンスが込められていました。

答えた瞬間に、「あ!私、なんで、こんな『まさかーー』なんて返答しちゃっているんだろう。」と気づき。
それを聞いていた娘はどう思ったのだろう。。。と。

私の「ううん」には、「まさか!帰りまで!そんなことないよ!あさだけだよ!」という言い訳じみたニュアンスが入っていました。

1年生のその子は、「帰りも一緒なの?」と聞いてきただけ。だけど、
私には「2年生になっても、学校に、お母さんと一緒にいっているの?」と非難めいて聞こえたようです。

だから、「ちがうよ!」ってどこかムキになって、答えたのです。

その子がどんな意図で聞いてきたかは、その子にしかわかりません。
その言葉に、「2年生にもなって~」ってバカにする雰囲気は今思うと乗っていませんでした。でも、私は反応しました。なんで?

私自身が、「2年生にもなって、お母さんと一緒に登校したいって大丈夫かな」という気づかない本音を持っていたからです。

意識の部分では、
「娘が求める間は」と思っているし
「私のよい運動にもなるし」と思っているし
「大変だなぁ」と思っているし
「知っている子に朝、行ってらっしゃいできるのいいな」って思っている。

でも
「大丈夫なのかな、この子」という本音は、ちょっと、ないがしろにされている。

こういう、気づいていないか、そういわれればあるなぁというぐらいの「本音」は、なんてことない他人の言葉や質問によって、急にあらわになることがあって、そういう時に、やけにムキになったり、感情的になったりするものです。

だから、こういう「影の薄い本音」さんの声をしっかりと聞いてあげないとなって思うのです。

いつもこの子(本音)の声に耳を傾けていれば、
こんな風に「隙あらば!!」とか「いまだ!!」と「本音」や「取り繕い」が不意をついて出てくることはないからです。

大丈夫なんです。
1年生だろうと2年生だろうと、6年生だろうと、子どもが私を求めるのなら、それを叶える。それが、心を満たすことになる。
だから、心のそこから大丈夫って思えたら、本当はよいのです。

でも、やっぱり、やっぱり大事な娘。そして、初めての1年生で、初めての2年生。私は初めての2年生の親をしています。二人目、三人目の方も、その子を育てるのは初めて。正解を知っているわけではありません。

今とっている行動が、良いのか、間違っているのか、わからないまま、それでも良いと思ったものを選択して、子育てしているわけです。

いろんな選択しがあります。「一緒に行く」を選ぶことは、「一人で行かせる」を選ばないということです。選ばなかったほうが本当はあっていたんじゃないか。いや、もうあっているかどうかってことより、ただ、どうなるのかなという未知の不安とはいつも一緒です。

「未知の不安」そして「選ばなかったほうへの未練(笑)」は、感情を揺さぶるトリガーになります。
たった1年生のなんの意図もない言葉にすら反応しました。

子育てが終わってみて、これでよかったのかな、まずかったのかなという答えは、おのずと出てきます。出てきたら、そこで修正していく必要があります。

だからこそ、「不安」や「選ばなかった方への未練」の気持ちは抹殺するのではなく、しっかりと自分の胸に受け止めておいた方が良いなって思います。

今回、私と1年生の会話を聞いていた娘、どう思ったかわかりませんが
「一緒に学校に行くのは、お母さんは、まずいことだと思っているのか」と
こんな風に娘に伝わるのは、それこそ、避けたい。

私は、娘に求められたら、喜んで一緒に学校に行きたい。
だからこそ、「それ、大丈夫かな。」って思う「本音」を自分自身に隠さず、その声にもちゃんと耳を傾けていきたいなと思いました。

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