「もっと自信があれば・・・・」というお悩みは多いです。
しかし、もっと自信が持てるようになりたい。もっと自信が持てるようになればいい。
というところにゴールを設定すると、どうもうまくいかないことが多いです。
もちろん、自信がないから人前で緊張する、ドキドキするうまく話せない、自己主張できない ということはあります。
「自信がないから」→うまく話せない
「自信がないのが原因」とする考え方です。
ところが、よーくよーく話を聴いていると、いつもうまく話せないわけじゃないようです。
プライベートな時は、自分のことを当たり前の様に話しているようですし、自己主張しています。
自分を表現するのに「自信」という言葉すら浮かばないぐらい、自信をもって、表現しています。
もし、本当に自信がないのだったら、いつも自分のこと、自分の意見、思っていることを
話すことはできていないはず。
しかし、どこかでは、自信ということばが意識に上がらないぐらい当たり前に、自信をもって、自己表現ができているわけです。
ということは、どうも、「自信がないから」ではないようです。
「自信がないから」→「人前で緊張する」
というよりも
「人前で緊張する」→「自信がなくなる」
というベクトルなようです。
「自信がないから」→「うまく話せない」
というよりも
「うまく話せない」→「自信がなくなる」
というベクトルなようです。
「自信がないから」→「自己主張できない」
というよりも
「自己主張できない」→「自信がなくなる」
というベクトルなようです。
全てがそうだとは言いませんが、そのような考え方をすることの方が、いろいろとできることが多いのですよ。
というのも、この「自信がない」「自信をつける」というのは、まったく雲をつかむような話で。
「自信っていったいなんなのか」ってところで、人によってものすごく違ってくるわけです。
また、自信があるからモノが言えるわけでも、自信がないからモノが言えないわけでもないことも多いものです。
例えば、私はこの説にあまり自信を持っていません。笑
たぶんたくさんの突っ込まれポイントはあるなと思っています。
それでも、仮説として提案するならいいかなとも思っています。
このように考えると、うまくいくことが多いな。とあくまでも私の臨床の中での、結果を基に仮説を立てているわけで、すべての人にあてはまるわけではありません。
そんなみんなにあてはまらないことを如何にも正しそうに、このようにブログで記事にすることに怖さをかんじていたりもするわけです。
ね、自信ないでしょ~~~。
文章力もまだまだって思っていて、私の仮説があてはまらないだけじゃなくて、言葉足らずで伝わらないこともあるだろうなぁ~~そしたらごめんね~~~。なんてことを思いながら、記事を書いていたりするわけです。
また、この仮説自体ではなく、私自身に対して、自信があるかといわれたら、これまた首を横に振りたくなるでしょう。
未熟度もいいところで、いっつも、私の中の教育ママが、あれもだめ、これもだめ、もーーー!とびしばし私を調教します。
どうも、自信に充ち溢れているというには程遠い気がします。
こんな私が、じゃぁ何も発信できていないかというと、そうではなく、
私はここで、発言しているわけです。怖いながらもね。(笑)
怖っと思いながらも発信しているわけです。結構言いたいことを言いたい放題、
皆さまにとっては「ぐざっ!」とくることを言っているわけです。(ごめんね~)
もしかしたら、その怖い。。。と思いながらも発信しているってことが、自信のある状態かもしれません。
ところが、この「自信のある状態」というのが、どういう状態か分からない人にとっては、イメージがわかなでしょう。すると超理想化が進んでしまいます。
「自信のある状態」は、どういう状態かを聴くと、返ってくる答えは、
「ぶれがない状態」というのがとっても多いのです。
いえいえいえいえ!ぶれていますよ!!
「これでいい!と思える状態」というのも多いです。
いえいえいえいえ!これでいいなんて思わないですよ!!
もっともっと。どうにかできんもんか。今までのとはちょっと変えた方がいいじゃないか。なんて気持ちがムクムクですよ。
なにが言いたいかと言うと、
「ブレがなくなる・これでいいと思える」というところをゴールにしてしまい、
いつまでたっても、「自信がない」という未達成感を味わい続ける恐れがあるわけです。
元気な人は例外です。
どんどん「ぶれなくなること、これでいいと思えること」を目指してください。
「ぶれる自分」や「これでいいと思えない自分」を『受け入れてこそできること』なので、そこの受け入れができている元気な方は、ぜひぜひ目指すといいと思います。
が、このオレンジ物語のブログを読んでいる方は、「自信がない」ことに苦しんでおられる方が多いのではないでしょうか。
「ぶれないようになる」というゴールは「ぶれてもいい」の先にあるのです。
さて、少しお話が横に飛びましたが、
「自信がない」というのは、雲をつかむ話で、
結局どうなりたいか、イメージがしにくい。ゴールがわかりにくい。
ということと、
未達成感を感じ続ける恐れがある。
ということでした。
なので、提案なのですが、「自信がない」から→「自己主張できない」
とすると、思考もセラピーも頓着してしまうので、
できたら、
「自己主張できない」→「自信がなくなる」というベクトルで見るのはどうでしょうか。
自信がない のは【原因】ではなく、【症状】だと見るのです。
自己主張できないのは、自信がないからではない。とするのです。
「自信がないから。」としたら、その後、どうしていいかわからない気がしませんか。
じゃぁどうすればいいの?ってね。
「自信がないから自己主張できない」と立てていた仮説を、「自己主張できない理由は、他にある。」とします。
すると、自己主張できない理由を探し始めます。
「なぜ、そんなにも自己主張するのが怖いんだ?」ってね、自分に聴き始めるのです。
ここで注意することは、その「怖さ」に向き合い始めると、
怖すぎる!!と本能的に察知するかたは、また「自信がないから」と言い始めます。
そこに戻っていきます。
「なぜ、そんなにも自己主張するのが怖いんだ?」
↓
「・・・・・自信がないから。じゃぁ。。どうしよう・・・」
と言った風にね。
実をいうと、「自信がない」というのは、【思考がフリーズしてしまう言葉】でもあったりするのです。
本当は、他に理由があります。【本当の理由】が。
「自信がない」は、その結果ついてきた症状のようなもの。
「自信がない」は、原因、理由ではなく
時々、本当の理由をみることの怖さを 優しくベールに包んでくれたりもします。
いつのまにか、ベールに包んでいるのを忘れてしまって、「自信がない」ことがその理由だと思いこみ、解決しない「自信のなさ」に苦しんでいることが多いのです。
先ほどの私の例のように、どうも人生において、「自信がない」という状態は、
しょっちゅうあるようです。なくなるときもありますがね。
逆の「自信がある」状態もしかり。それぐらいあやふやな状態 なんですよね。
あやふやな状態(超理想状態)をゴールにするのは、そりゃうまくいかないんですよね。
「自信がない」のが理由と思うと、思考がフリーズします。
「本当の原因=怖れ」の探索を止めてしまいます。
なので、「自信がない」のがいけないんだ!原因だ!と思うのではなく、
【自信がなくなるのは症状だ】ととらえ、「本当は私は、何が怖いのかな?」
と優しく自分に問いかけるところからスタート。してみてはいかがでしょうか。
自己主張すると私は何が怖いのかな?
人前で話すと、私は何が起きそうでこわいのかな?
うまく話せないと、どうなりそうで、私は怖いのかな?
いろんなバリエーションで使えますね^^
優しくね。優しくね。問いかけてみてくださいね。
「自信がない」は【原因】ではなく【症状】です。