今朝、朝の支度をしているとき、娘が聞いてきた。
「白のコートと、ベージュのコートどっちがいい?」
娘のアウターはもっぱらこの二つである。黒のもあるけれど、見向きもしてくれないので、この二つ。
そういえば、この冬になってから、よく聞かれるなぁ。
変われば変わるものだなぁ。
たった少し前まで、私のファッションのアドバイスを受け入れることはなかった。たった少しとは、本当に、少しで、少なくとも、二年生の夏には、なかった。(今二年生の冬)
幼児時代は、まぁ私が服を手作りするので、おしゃれというよりも、私の楽しみが先行してしまっていたため、柄ON柄とか、上ぼわん、下もぼわん、とか、色&色とか、まぁ好きに着ていて、幼児あるあるなんだけれど、このままものすごいセンスのままいったらどうしようとか、ちょっと恥ずかしいなぁって私のほうが思って、
「この組み合わせいいと思うんだけれどどう?」
なんて提案したら、烈火のごとく怒りだした。その提案はゴミのようにすてられ(笑)むしろ意地になって、私のアドバイスと真逆の方向に走るという、「アドバイスしないで」時期が長かった。
男の子のママのお話を聞くと
「そうなの~~~男の子はねぇ~~~~いいなりよ~~」って言って笑っていて、ちょっとうらやましいななんて思っていた。
でも、まぁ自分の意見があるということだし、いいことじゃないか。
ちゃんとその意見が言える関係性を作れたってことだし、いいじゃないか。
と思うけれど、親というのは、子どもがどうあったって心配する生き物で、
「このまま人の言うことがきけなくなったらどうしよう」という思いが、言葉にださないまでもちゃんと存在していた。
そして、
「人のアドバイスをきけるのも、上手になるのに、大事なんだよ~」
なんて言ってみたこともあったけれど、やっぱりそのアドバイスもゴミのように捨てられるどころが、満塁ホームランのボールのようにはるかかなたへ吹っ飛ばされていった。
そんな娘が!私に!服の組み合わせを聞いてくるなんて!こんな夢のような日がくるなんて!
しかし、親とは、子どもがどんなであっても心配する生き物のようで(本日二回目)今度は、あ、私が、「アドバイス聞くといいよ~」って言ったから、聞くようになったのかなぁ。余計なこと言っちゃったかなぁと、思い始めた。
こうやって文字にすると、そのばかばかしさに気づくことができるけれど、言語化されずにモヤンとなっていると、こんなばかばかしいけれど可愛らしく愛しい悩みに優しくも全身くるまれているみたいだ。
子どもってどんどん変わっていくのだなぁ。
アドバイスを聞かない時期があって、アドバイスを聞く時期がある。人のいうことに耳を傾けない時期があって、人の言うことに耳を傾ける時期がある。
こうやって、娘の変化がゆるやかにみえると、ああ、私は未熟だけれど、ここはまちがっていなかったんだなぁって思うことがある。それは、
その時期にでている娘の特性というか、モードというか、はやりというか、こだわり?というか、はまり を否定しなかったことである。
待ったということである。
待っている間、娘が変わるという保証もない。むしろ、このままだったらどうしようって思うような未熟な私のまんまである。
でも、子どもは変わっていく。アドバイスが必要って言われたら、アドバイスしたらいい。「子どもは自分で考えられるように育てよう」というセオリーを採用する必要はない。アドバイスしたらいいんだと思う。だって、今は、娘がそれを求めているのだから。
そして、アドバイスが必要ないって言われたら、アドバイスをする必要はない。「人の言うこと聞く子が伸びる」という考え方を前面に出す必要なく。「ママはこう思ったんだもーん」と私の意見を表現するにとどめ、それを採用するかどうかは、娘に任せる。
「人のアドバイスを聞ける子は伸びる」という子育てセオリーもあれば、
「自分で考えられる子に育てよう」というセオリーもある。どっちよ。
現場では、いつだって、一つのセオリーが万能じゃなくって、
「いつ」「どのタイミングで」「どの程度」ってのが求められる。
「いつ、どのタイミングで、どの程度」を網羅するのはやっぱり「娘の『今』にあわせる」ことかなぁと。
そんな風に接してきて、娘の変化を目の当たりにして、ああ、変わっていくんだなぁってことを体験させてもらっている。
私の思い通りに変わっていくことはない。私の思いどおりになるところもあれば、ならないところもある。娘も、変わることもあれば、そのまま変わらないこともある。
変わる、変わらないにしても、今を十分堪能してもらえば、変わるにせよ、変わらないにせよ、次に進むのだと思う。
自戒を込めて注意点も一つ。
こんな風に、アドバイスを強要していないつもりでいるけれど、実は、やっちゃっていることもある。
嫌みをいったり。「ほら、だから言ったじゃない」って言ってみたり。「じゃぁどうしたいの」って言ってみたり。怒るわけじゃないけれど、言い方は優しいのだけれど「私が納得できるような説明がないと」って言語化(どうして、理由は)を強要したり。
これは、「〇〇しなさい!」とか「○○しないで!」というようなわかりやすい強要ではないけれど、立派な強要なので、気を付けないといけないなぁって思う。
小学生どころか、中学生、いや高校生でも「言語化」って難しい。私だって難しい。「なんで?」「なんとなく」最近の私は感性を大事にしはじめたもんだから、こんな感じだ。言語化する努力は、つけておいて損のないスキルであることは確か。でも、難しい。
だから、言語化される前の「『なんとなく』の段階の思い」を壊さないようにしたいなぁって思っている。
「言語化」については、私の思惑があまり生じないところで、訓練してもらいたいなぁって思っている。笑。自分の影響力が強いなぁって自覚しているからなおさらですね。