人々が自分の気持ちに責任を持つことができたら、
必要以上に相手の気持ちにまで
責任を持つことをやめるのだと思う。
私は、そのスタートに立とうと思ったんだ。
そしたら、
やっぱりスタートなだけに、
真っ先に楽になり、
かつ
コミュニケーションがうまくいくようになった。
どんな相手の気持ちも、相手の気持ちだと尊重できるし、
私の中に侵入してこないから。
そしたら、
自分を守る ココロの壁がちょっと低くなったんです。
【あるクライアントさんの手記より】
「自分の気持ちは「自分」が感じているんだ。」
と受け止めることが、
「自分の気持ちに責任をとる」
ということです。
どうも、
「責任」というと、
「~のせい」
とか
「~が悪い」
とか
「償うべき」
とか
「罰をおう」
と、誤解されて使われていることが多い。
でも、
本来の「責任」の意味は、そうじゃない。
良い 、 悪い という判断は その後にくっついてきたもの。
正しい、 正しくない という判断は その後にくっついてきたもの。
「責任」は、そんなジャッジの前にある。
「責任をとる」とは、
「『私が』とった行為 は 『私』によってなされたものだ。」
と受け止めることです。
自分の感情に責任がとれていないと、
なんてことない相手の言葉に反応したときに、
「その言葉で傷つけられた」
となったり、
相手がなんにも考えずに、とった態度に、
「そんな態度が、私を腹立たせる」
となって怒りや悲しみをエスカレートさせてしまうのです。
傷ついたのは、【私】 ですし、
腹がたったのは、【私】です。
相手か、自分か、
どっちが良い、悪い、というジャッジの前に、
どっちが正しい、間違っているという前に、
「自分が感じたことなんだ」
と知ることが、
「自分の気持ちに責任をとる」
ということです。
そこに
良い、悪い、
正しい、間違っている というジャッジが絡んでくることで、
このお話はややこしくなってきます。
上のお話を聞いて、
「じゃぁ自分が悪いの??」
「相手が傷つけたのに!」
って反応する方は、
まず、責任と、良し悪し、正誤がごちゃごちゃ
になっていることを認識してくださいね^^
また、逆に、
「自分が反応したから、私がいけないんだ」
とか
「自分がこんな風に感じてしまうから、私がいけないんだ」
と反応する方も、
反応のパターンは違いますが、
これも、
責任と、良し悪し、正誤がごちゃごちゃ
になっていることを認識してくださいね。
自分の気持ちに責任を持つと、
相手の気持ちの責任も 相手にあることが納得できるので、
私がこのように言ったら、相手が傷つくかもしれない。
私は、こんな風な態度をとったら、相手が傷つくかもしれない。
あーーもーーー
じゃぁ 何話していいかわからない!
話題が浮かばない!
対人がしんどいーーーーー(>_<)
ってことにはなりません。笑
もちろん上の状態は
「相手を傷つけたくない」という思いやりからきています。
これは確か。
優しい方多いですもん。
しかし、
思いやりだけからきているのなら、いいのですが、
半分は、
相手の気持ちにまで責任を持ちすぎていること
からきています。
だから、 必要な気遣いを超えて、
必要以上の気遣いで疲れてしまうのです。
気遣いが不要だとはいいませんよ。
気遣いは、コミュニケーションの潤滑油。
ただ、必要以上で、
それがいつもだとちょっとしんどい。
冒頭のクライアントさんは、
時間をかけて、
自分の気持ちを自分の手中にとりもどしていきました。
自分軸を取り戻していきました。
それは、
「自分は、周りに振り回される存在ではなく、
自分で立っている存在なんだ」
というスタンスを身につけることにも
繋がっています。
これが 自由 なんですね。
自由 には 責任 がセットなんです。
はい、
また改めて言いますよ。
責任 というのは、
「罰を負うべき」という意味は本来の意味ではないということを。
責任を持つ ということは、
良い、悪い、のその前に、
「自分の気持ち」は「自分が感じている」と受け止めること
です。
何が言いたいかというと、
恐れずに、
自分の気持ちに責任を持っていってください。
ということです。
人々が自分の気持ちに責任を持つことができたら
必要以上に相手の気持ちにまで
責任を持つことをやめるのだと思う。
私は、そのスタートに立とうと思ったんだ。
そしたら、
やっぱりスタートなだけに、
真っ先に楽になり、
かつ
コミュニケーションがうまくいくようになった。
どんな相手の気持ちも、相手の気持ちだと尊重できるし、
私の中に侵入してこないから。
そしたら、
自分を守る ココロの壁がちょっと低くなったんです。
【あるクライアントさんの手記より】
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