習い事、やめたい気持ちとやめたくない気持ち

子育て・ママ友

私は小学生の頃、スイミングスクールに通っていました。

軽い小児喘息を患っており、水泳がいいということで始めました。

でも、泳いでいるときが一番苦しかった。

息継ぎのときにめいいっぱい空気を吸いたいのに、思った通りに空気を吸えないのですから。

息つぎしても息つぎしても苦しい。

こんなことを思い出すと、ああ、私頑張っていたんだなぁなんて思います。

水泳は行きたいのに、行きたくないというふしぎな感情のまま、結局うやむやなかんじでやめました。

中途半端だった、という気持ちが残っています。

でも、今考えると、本当に苦しかったんだと思います。

実はやめたかったんだと思います。

でもやめたくなかったという気持ちも本当でした。

やめたかったけれどやめたくありませんでした。

なぜでしょうか?

それは
私の価値を支えてくれる数少ない特技だったからです。

水泳はスクールに通っていたので学校では常に一番でした。

スクールをやめるということは「水泳のできる利佳ちゃん」を手放すことになります。

それが嫌でした。

親には「嫌だったらやめてもいいんだよ。」 と言われていました。

なので強制されたわけではありません。

でもやめたくありませんでした。

やめたくない気持ちは自分でもよくわかりました。

でも
スクールから脱走したり、そもそもスクールに行かずにどこかに隠れたりしていたりする自分の気持ちが本当によくわかりませんでした。

今でこそ心理の勉強をしたからこそあのときの「アンビバレントな気持ち」が両方理解できます。

習い事に通うお子さん持つママあるあるですよね。

嫌ならやめてもいいよ。というと

やめたくない。という。

でも楽しそうでもない。むしろ辛そう。

そんな時、一つのことを続けることがいいことか悪い事か。

途中でやめることはいいことか悪い事か
という問は一つ横においておいて
先にすることがあります。

どうしたいの?やめたいの?やめたくないの?
というどっちつかずの態度が見えて来たら、本人の中でも
アンビバレントな気持ちがあり分からなくなっているようです。

やめたい気持ちとやめたくない気持ち両方あると理解することです。

そして、アンビバレントな気持ちをうまく表現させてあげるといいでしょう。

やめたいのかやめたくないのかの決着をつけるのではなく、やめたい気持ち、辛い気持ち、大変な気持ちを聞いてあげます。

引き出します。

大変でしょ。辛いよね。と代弁するのもいいですよね。

そしてやめたくない気持ち。楽しい気持ち。うれしい気持ち。達成感
そして認められたい気持ち。
を引き出す。語ってもらう。表現してもらいましょう。

「水泳をしてて、苦しいことはなに?」とか
「大変な事はなに?」
と問うことで、やめたい気持ちを引き出すことができます。

また
「水泳をしていて、嬉しいことはなに?」
「楽しいことはなに?」
「どんなときにやっていてよかったなぁって思う?」

と聞いてみるのはどうでしょうか。

「認められたい気持ち」は引き出すのがなかなか難しいかもしれません。

虚栄心ですからね。

簡単に言うと「かっこつけ」です。

そんな「ええかっこしー」している自分が恥ずかしいという思いは小学校低学年でもあります。

大人になったら開き直ることもできるかもしれませんが。

小さい子はまだまだ全力で隠すかもしれません。

それならそれでもいいです。

できる範囲で、アンビバレントな感情両方を表現してもらいます。

そしてなんとなく自分で両方の気持ちに触れることができたら
うまく二つの気持ちを統合していくことができるでしょう。

アンビバレントな気持ちを表現してもらっている時に
「お母さんが喜ぶから」
「お父さんが褒めてくれるから」
といった、他人軸な答えが返ってきたら要注意です。

子どもなので、愛する親に喜んでもらいたいという思いはとても純粋なものでしょう。

しかし、そればかりというのでは、少し問題があります。

アンビバレントな気持ちは
子どもの気持ち VS 子どもの気持ち ではなく
子どもの気持ち Vs 親の気持ち
なってしまっているからです。

ああ、でもそうなってしまうことは、避けられないのかもしれません。

子どもが親を思う気持ちを考えると。

だって、大好きな人に喜んでもらいたいと思うのは、もう仕方ないでしょう?

子どもがよくできると、親としてはうれしいに決まっている。だから喜ぶ。すると子どもはその喜ぶ姿が見たい。親に笑っていてほしい。とてもナチュラルでとても、素敵な感情です。

でも気づける範囲で、できる範囲で、
子ども自身の気持ちが尊重されるような関わり合いを持ちたいものです。

結果、やっぱり習い事を辞めるとなるかもしれないし
やっぱりもうすこし頑張ってみるとなるかもしれないし
決断はあとにするとなるかもしれません。

子どもが気持ちを表現することで、親に気づきも生まれます。

子どもが語る言葉に親の気持ちがうごくのです。

家族のココロがうごいていきます。

結果はどうなるかわかりませんが、本人の中で、しっかりと「決断」へのプロセスを歩むことができます。

また、これは「矛盾した感情ってあるよ」と教えてあげることにもなります。

確かに、矛盾した気持ちや矛盾した感情に説得力はありません。

でも説得力がないからといって切り捨ててしまうと、私たちの感情の半分以上を切り捨ててしまうことになりかねません。

なにより、矛盾した感情を持ってもいい。矛盾した感情もあなたの大事な気持ち。全部の気持ちがあなたなんだ。

という、メッセージを伝えるとともに
自分の感情との向き合い方を教えることにもなります。

矛盾していてもその感情は、あなたの大事な大事な感情だよ。

表現する価値のあるものだよ。

そう伝えることができるのです。

あなたの気持ちを私は大事にしているよ。

あなたも自分の気持ちを大事にしていいんだよ。

そう伝えることができるのです。

習い事を続けるかどうかは、話し合いによってきまるものです。

話し合いはそれぞれが正直に自分の気持ちを見つめ表現することで成り立つものです。

習い事を続けることが良いことか、悪いことか、に答えはありません。

しかし、
自分のアンビバレントな気持ちを両方とらえ、表現し、分かち合うことは
これからの人生いろいろなことを選択し、決定していく上で、大事なレッスンになることは確かです。

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