当時の苦しみ
「休んでしまった・・・どうしよう」
ここから私の苦悩が始まっていました。
いえ、もうずっと前から苦しみの中にいました。
仕事がうまくいかなくて、辛くて、毎日一人はらはらと涙をこぼしながら家路につく日が続いていました。
超多忙な生活で、疲れていても休めない。
土日はその疲れを取るためにひたすら家で寝ていました。
でも疲れがとれるわけではありませんでした。
肩こり腰痛は慢性化しており、ある日突然右腕が上がらなくなりました。
原因不明でした。
病院でレントゲンをとってもらっても、大丈夫ですといわれました。
偏頭痛もあり、耳鳴りもする。
嫌なことを思い浮かべると胃痛がはしる。
身体はずっと痛みを発していました。
毎朝、目は覚めるのだけれど、起き上がることができない。
でも休んだら周りに迷惑がかかるから休むわけにはいかない。
身体も心もぼろぼろだったけれども、
この、「迷惑かけられない」という思いだけで
なんとか自分を動かしていました。
ほとんど出社拒否状態でした。
そしてある日、とうとう仕事を休んでしまいました。
身体が一歩も動きませんでした。
職場に連絡を入れて、お休みの旨を伝え、電話を切ったあと、
とても晴ればれした気持ちでした。
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「行かなくてすむ」と思ったとき、とてもほっとしました。
ところが、時間が経つに連れて罪悪感がでてきました。
熱があるわけでもないのに
部屋の中では動けるのに
なんて、なんて、私はなまけものなんだろう
そう、自分を責め続けました。
当時の私の症状は、鬱(うつ)症状そのもので、いろんなサイトを調べました。
鬱症状のチェック項目にいくつもあてはまりました。
このままではいけないと、病院にいきました。
治るものなら治したい。
ちゃんと仕事したい。
迷惑かけたくない。
そんな思いでいっぱいでした。
そして診断の結果・・・鬱ではありませんでした。
ストレス性鬱症状ということで、 鬱病ではありませんでした。
病気でもない・・・・ってことは治らないってこと・・・?
とさらに落ち込みました。
やっぱり怠け者なんだ。
「なまけもの」は治るのだろうか・・・
またいろんなサイトで「なまけもの」を検索したのですが、ヒットするのは「鬱」がほとんど。
「『なまけ』と思っているのは、『鬱』かもしれませんよ」といった文がほとんどでした。
じゃぁ、本当のなまけものはどうすればいいんだーー
あきらめろってこと?
途方にくれていました。
たびたびお休みがつづいてしまい、数ヶ月、お休みをもらうことにしました。
11月のことでした。
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故郷の親元にかえって、穏やかな日々をすごしました。
そうしているうちに、だんだんと笑えるようになってきました。
今まで抱えていた体の不調もなくなり、良くなったと思っていました。
良くなったと思っていました。
2月の中旬ごろになって職場から電話がかかってきました。
そろそろ、戻ってくる時期になったので、連絡がきたのです。
すると、今まで良くなったと思われた、偏頭痛、肩こり、腰痛、耳鳴り、胃痛、が全部もどってきたのです。
私、ぜんぜん良くなっていませんでした。
いえ、良くなっていたのかもしれませんが、それはあくまでストレスが取り除かれた状態でのことで、ストレスの状況下に置かれることを想像しただけで、元にもどってしまったのです。
もう、藁にもすがる思いでした。
このままじゃいけない。
4月からは現場復帰するんだから。
このままじゃ社会復帰すらできない。
そんなときに心理療法と出会ったのです。

心理療法との出会い
心理療法・・・・なんだか未知の世界の話でした。
怪しすぎました。
どんなことをするかもわかりませんでした。
でも、とにかく、どうにかしてほしくて
藁にもすがる思いでした。
私はセラピストに訴えました。
自分が怠け者だということ。これをずっとひた隠しにしてきた。
だから、他の人にばれるが怖かった。
でも、それでも治らなきゃいけない。
もし、もし治るなら なんでもするから。
と。
そこで私はフォーカシングというセラピーを受けました。
(私の体験記に詳細があります。)
目からうろこがはらはらと落ちました。
ここではじめて私は自分を受け入れることができたのです。
今までいろんな本で、「自分を受け入れよう」とか
「自分に優しく」とか、「そのままでもいい」なんて言葉を読んでも、
「そのままじゃいや」「この程度であきらめるの?」「受け入れられない。嫌い」
としか思えなかった私が、
「自分を受け入れる」という本当の意味とその方法を知ったのです。


