自分と向き合うとき「事実」と「想い」を分ける

「私の何が悪かったの?」

自分と向き合うときに、そんな風に聞くのはあまりお勧めしませんよ。


ということを前回書きました。

「自分と向き合う」ことを決めたときにまず大事にしてほしい3つのこと。

今回は一つ目。
「私の何が悪かったの?」という問いが あまり役に立たない理由について書きます。


答えから言います。
それは

「自分が悪い」 ことが「前提」の問いだからです。

 

「事実」は「私が悪かった」のかもしれないし、「相手が悪かった」のかもしれません。


なのに一方だけの「私が悪かった」という前提で考えてばかりいると「事実」が見えなくなってしまいます。


反対に「自分は悪くない」ということを証明することで心が軽くなるわけでもありません。


「私は悪くない」 という思いがふつふつとしたり

「あなたは悪くない」 と言ってくれる人を探してさまよったり

そんな優しい言葉をかけてくれる人がいなくて余計落ち込んでいる方にも届くといいなって思います。

 


さて、 自分と向き合ったりセルフセラピーをするときにまずここまで進めるといいなぁってところがあります。


それは「なにが起こったのか」という「事実」を見ることなんですね。

 


例えば私が、彼と大喧嘩して 心が乱れてちりぢりになったとしましょう。

 


そんな時こう思うかもしれません。


「彼は私のことをバカにしている」
「私は彼に裏切られた」
「彼は私のことなんか愛していないんだわ」
「だから約束を平気で破るのよ」
「私は愛されるような人じゃないんだわ」


なんてね。こういうことを思っちゃうかもしれません。

 


ではこの中でどれが事実か?というと。


どれだと思いますか?


正解は実は一つもないんですね。


全部、私の妄想、私の意見、私の見立てなのです。

 


でも嵐の真っ只中では、まぁ これがゆるがない「真実」に見えてしまうわけです。


そしてその私の「見立て」によって、私は必要以上に苦しむことになります。


この「妄想」や「見立て」こそが、私たちを苦しめる正体なのです。

 


悪くすると、私の「見立て」が正しい!証明したいがために、証拠集めが始まります。


喧嘩が起こっただけでもハートブレイクなのに
愛されていない、愛される価値がない、という証拠集めが始まり
さらにハートブレイクで苦しみます。重ね重ねしんどいですよね。


喧嘩をしたことよりもこっちの方がもっとしんどいかと思います。


ではどうしたらいいのでしょうか。

 


ひとまず自分の感情や暴走する思考が駆け巡り、すこし落ち着いたら。


「何が起こったんだろう」って問うといいんです。

 


すると「事実」と「私の想い・考え」
を分けてとらえることができるようになります。


「何が起こったんだろう」ですよ。


「事実」と「想い・考え」を分けることが、最初の一歩となります。

 


分けるために「何がおこったの?」と自問して「事実」を見ていくのです。


例えば「彼が約束を破った」「彼が時間通りに来なかった」「彼のリアクションが薄かった」(笑)


と事実をみます。そしたら次。


そのことを「私はどうとらえたのか」と自問していきます。

 


「会えなくてさみしかった」
「『会いたくないと思っているのかな』と思った」
「『私のことはどうでもいいって思っているのかな』と思った」
「『私のことは大切にしてくれない』と思った」
といった風に。


語尾を「『私が』そう思った」とするだけで、私たちを傷つける「妄想」が少し止むのがわかりますか。


私の傷ついた気持ちももちろん大事で、丁寧に扱っていくことはいくのですが。


それを「愕然たる真実」としてとらえるのではなく「私の反応」としてとらえられると少し嵐がやむのです。

 


キネシオロジーで体を整えるひとつの目的として「曇りなき眼(まなこ)」でものごとを見つめることができるようになること。があります。


「もののけ姫」にでてくる「アシタカ」のような目です。


「自分で世界を曇りなき眼で見つめ、見定める。」


これがアシタカが受けた「呪い」を解くカギになっていくのです。


私たちが幼少期から知らず知らずのうちに受けた「呪い」を解くカギになります。


この「呪い」は「常識」「文化」「しつけ」「価値観」
という形でかけられています。

また、その「呪い」を溶けやすくする
キネシオロジーでカラダを調整することでも嵐がやみます。

 


自分へ問いかけ、答えをだすだけでも嵐がやむこともあります。


そのうえで、自分がよく陥るパターンについてみていく。
そんなプロセスを進めていくのです。


ということで、自分と向き合うときのコツ、一つ目は
「何が起こったのかな?」という「事実」と
「どうかんじたのかな?」という「想い」を分けて観察していくよ。


ということでした。

 


次回は二つ目
「善悪の土俵にのらないよ」
ということをお伝えしていこうと思います。

→「心が落ち着かない時、誰と戦っていますか。

タイトルとURLをコピーしました